昔はRPGな感じでしたが、ノリも残しつつ読ませる文章を目指してます。20110226
quartz
*第一章:古岩の森1*
「ルーク。そのお話、もっと聞かせてくれませんか?」 辺りは葉の茂った樹木にぐるりと囲まれていたが、古びた大岩のあるその場所だけは、頭上が小さな窓のようにひらいていて空が見えた。そこから朝の光が、岩に座るふたりの子猫に柔らかに降りそそいでいる。 ルークと呼ばれたのは、茶色い毛並みをした子猫だ。 「――どこまでも続くような、長い長い一本道。その道の行き着く先に、旅猫(クォーツ)たちが『始まりの店(ばしょ)』と呼んでいる店があるんだ。そこで僕は暮らしていたんだよ」 ルークの琥珀色の瞳が、思いを馳せるように彼の伸ばした足先に向けられている。足の先には、まだ目を出したばかりの双葉が土から顔をのぞかせていた。幼い頃の自分の姿を思い出しているのか、少し照れくさそうに笑う。 「旅する猫のほとんどが、そこから旅を始めたり、訪れたりしている。旅がとってもうまくいく店だって言われていてね」 話を聞く黒いローブの猫の視線が、不意にそっとルークから頭上へ、森の小窓に向けられた。話には耳を傾けたままでいる。ローブからのぞいた白い鼻先がゆっくりと息を吸い、覆いの奥から見えた緑色の瞳が、光をうって空に一つ、二つまばたきをする。 まだ天上に昇りきっていない太陽の光は、蒼々(そうそう)とした森に影を作らない。ただ純粋に、はるか上から、目を覚ましたばかりの世界に微笑みを浮かべているようだ。この微笑みにも似た空からの光を、森の上をすべるように流れる風が運んでいく。まるで樹木一本一本に朝ご飯を配っていくように。 心の興味がどこか違うところへ行ってしまいそうになるのを、そっと胸に沈ませて、黒いローブの猫は口を開いた。 「ルークは、なぜ旅を始めたのですか?」 「旅猫(クォーツ)たちの話を聞いていて、自分も旅に出たくなった事かな。でも、一番の理由は……『もう一度、アモン・ティル・ハーツに会う』ということ」 琥珀色の瞳が、先ほどとは違う力強い眼差しに変わる。 「アモン・ティル・ハーツ……?」 「有名な旅猫(クォーツ)だよ。各地にアモンにまつわる伝説が残っているくらいさ。腕っぷしも強くて、助けを必要としている街をひとりで救うこともする、孤高の旅猫(クォーツ)なんだ」 熱っぽく話す様子に、ローブの猫は問う。 「アモンというその猫に、思い入れがあるのですね」 「……うん。まだ僕が、うんと小さな頃だった」 一息つくと、ルークはその出来事を語り始めた。 ※ その日はとても風が強く吹いていた。 店には風がおさまるのを待っていた旅猫(クォーツ)たちもいたから、お客が十五、六匹ほどいて少し混んでいたかな。 僕は店の扉の側に立って、お客さんの出入りを迎えていたからよく覚えている。 少し風がおさまった頃、一匹旅猫(クォーツ)が出ていった……入れ違いに、一匹旅猫(クォーツ)が入ってきた。 今まで見たことのない誂(あつら)えの真っ赤な旅服を纏(まと)った、赤茶色の毛並みをした雄猫。彼は店に入ってくると、入り口から二つ目のテーブルに着いて 「水を一杯もらえるかな」 と言った。真っ赤な旅服と、普通の旅猫(クォーツ)とは違う風(かぜ)を纏(まと)っていたからすぐに思った。この猫はアモン・ティル・ハーツだって。 ――アモンは風を纏っていたのですか? 実際に、風を纏っていたわけではないよ。僕たち旅猫(クォーツ)はいろいろな場所を歩いたり、物を運んだりするから、それを風に例えることがあるんだ。 旅に出たまま帰って来なくなった猫を、風になったって言う。古い歌にも旅猫(クォーツ)を風に例えて歌った作品もあるよ。 ――そうなのですか。あ、話の腰を折ってすみません。続きを聞かせて下さい。 それでね、店自慢の『パフェマウンテンの雪解け水』に『透り氷(とおりごおり)』を入れて、トレスおじさんは僕に持たせた。……言ってなかったけれど、僕は父親の親友トレスおじさんと店を引き継いで暮らしていたんだ。 水を差しだした後、僕は少し離れた場所で、じっとその赤い旅服の猫をじっと見つめていた。そしたら突然、目が合ってしまって、どうしていいのか分からずにいると 「そこに座るか?」 と言って、隣の椅子を引いてくれたんだ。緊張してしまって恐る恐る近づく僕の様子を、今度はその猫が興味深そう見ていたよ。瞳の色は優しい灰色の瞳だった。 「名前は?」 「僕はルーク・チャンス」 「……そうか」 少し沈黙が続いた。僕の運んだお水を大切そうに口に含んで喉を潤している姿は、今でも鮮明に覚えている。彼がグラスをテーブルに置くと、僕は思い切って尋ねてみた。 「あなたはアモン?」 その猫は囁くように、それでいて僕の耳にははっきりと聞こえるように答えた。 「ああ、俺はアモン・ティル・ハーツさ」 アモンがそう言うと、近くに座っていた猫たちがこっちを見てきた。ざわざわが、見る間に奥席まで届いて、店の中の空気が騒然とした。きっと、僕以外の猫達もずっと気になっていたんだと思う。 あの時、たとえアモンが答えなかったとしても、僕は絶対にこの猫はアモン・ティル・ハーツだと確信できた。 ……自分で聞いておきながら、こんなことを言うと変かもしれないけれど『この猫はアモンだ』と確信していたのに、僕びっくりしたんだ。 アモンが僕の質問に答えてくれた時、耳先から爪先から尾先まで、ぞわぞわって毛並みが逆立っちゃったよ。 何て言ったらいいのかな。 アモンはすごく堂々としていて、不思議な風を纏っていて、見えない力に包まれているような気がした。 上手く言葉で説明はできないけれど、この猫はアモンに違いないって、店にいた全ての猫達が感じたと思う。 ニセモノじゃない。間違いない。そう思わせるくらい、アモンは他の猫とは違っていたんだ。 水を全て飲み干すと「またな、ルーク」と言ってアモンは席を立った。店を去ろうとした後ろ姿に「また来てね」と言ったら、ニコって笑ってくれた。 それがきっかけで、アモンは度々店を訪れてくれるようになった。店にやって来る旅猫(クォーツ)たちの話は面白かったけれど、アモンの話は特別楽しかった。 ある日のことだった。 いつものように、突然ふらりとアモンが店をやって来てきた。その日はいつもと何か違った気がする。 店に入ってくるなり、僕を見つけて 「ルーク、お前に渡したいものがあるんだ」 赤い旅服の奥から、大切そうに小さな革袋を取り出して僕の手に握らせた。 珍しい動物の皮でできているようで、丈夫そうな革袋には、何か硬いものが入っているみたいだった。 中身を尋ねてみようと見上げたら、アモンはもう店を出ようとしていて 「持っていてくれ。お前に預けておく」 灰色の瞳で僕を一時見ていたかと思うと、いつものあどけないニコッと笑った顔をみせて、足早に出ていった。……それ以来、アモンは店には来なくなった。 ※ 口を結んだルークの横顔を、ローブの猫は、ただ静かに見つめている事しかできなかった。何と声を掛けていいのか、出会ったばかり猫にはルークの真意をくみ取ることは難しい。 「アモンは長い旅に出たんだ」 琥珀色の瞳に揺るぎない気持ちをたたえ、ルークは言った。 「どこにいるのか、わからないけれど……。旅をしていたら、きっとどこかで会えると思うんだ」 顔を上げたルークは、空ではなくて、どこか遠い場所を見ているようだ。茶色い毛並みが、焦茶色の前髪がルークの気持ちを表しているかのように勇んで見えた。 ローブの猫も、そこに何かが見えるような気がして、ルークの見上げた空を見つめた。 「ところで、リスベルはどうしてこんなところにいたの?」 振り返った拍子に、黒いローブの覆いが少し後ろへと落ちて、真っ白な毛並みとともに大きな緑色の瞳があらわになった。目が合って、ルークはなぜかたじろいでしまう。 「リスベル、君は……」 「私はこの世界に住んでいる猫ではありません」 言い放たれた言葉に、何を問いかけようとしたのか忘れてしまった。しばし呆気にとられた顔をしていたルークだったが、我に返ると、黒いローブからのぞく白い毛並みと、耳と――しっぽを確認しながら、小首を傾げた。 「この世界の猫と、あまり変わりがないように見えるけれど」 「私が住んでいる世界の猫と、この世界に住んでいる猫とは祖先が同じ。ですから外見に変わりはありません。でも……私たちは『白い竜イージス』からもらった魔力という能力を持っています」 「魔力?」 リスベルは仰々(ぎょうぎょう)しくうなずくと、話し始めた。 「私たちの祖先の歴史は、今から500年ほど前にさかのぼります。およそ500年前、この世界には悪がはびこっていました。その根元であった黒い竜を、世界の創造神である白い竜イージスが、異世界の底知れぬ闇に葬(ほうむ)ったのです」 幼い頃、誰かが話してくれた物語のようだと、ルークは思った。黒いローブの猫は、背筋をすっと正したまま、朗々とその歴史を語る。 「イージスは、黒い竜の息の根を止めましたが、その禍々(まがまが)しい魂までを葬ることはできませんでした。けれどそのままにしていては、まだ世界に悪が満ちてしまう。そこでこの世界から数匹の猫を選び出し、魔力を与え、封印した扉を守るための門番(ゲートキーパー)に使わしました。それ以来私たちはずっと、扉を守り続けていた……」 見る間にリスベルの表情は曇っていく。 「何か、起きてしまったの?」 そう問うと、リスベルはおずおずとしながらも、うなずいて口を開いた。 「私は黒い竜を追ってこの世界にやって来ました。一度は抑えられていた力……でもその封印は、私たちの知らないところで解かれつつあったのです。どうして封印が解かれ始めたのか、私にはわかりません」 「封印は解かれて、黒い竜はこの世界にやって来た……それは本当なの?」 「ええ、静かに世界中へ悪が広がろうとしています。一度は退けられた闇が、再びこの世界を覆わんとしているのです。……黒い竜はとても強い力を持っています、しかし、肉体を失い、己ではその力を発揮することはできません」 リスベルは平然とした様子で話し続けていたが、次第に言葉には熱がこもっていく。 「解かれつつあった封印のせいで、黒い竜は三匹の特殊な力を持った『強者(つわもの)』をこの世界に送り込みました。そのいずれかの者の成長を見て、己の魂を宿す『宿り主(やどりぬし)』にしようと考えているのです」 おとなしく聞いていたルークだったが、思わず気持ちが高ぶって 「それじゃあ、そんなヤツ早く見つけて倒さないと!」 と騒いでしまったが――すぐにそうしたことを後悔した。 「……はい」 深々と頷いたリスベルは、黒いローブの奥底でとても思い詰めた表情をしていた。とてもじゃないが、自分と歳も変わらない子猫にそんな、世界を救うだなんて使命が務まるようには思えない。ふたりとも、何も言い出せずに言葉を失ってしまう。 先に口を開いたのはルークだった。 「僕、正直ピンと来ないよ。黒い竜が再び現れたとか、君の言うその昔話も」 「今はまだ小さな悪鬼が出現している程度かもしれませんが、太陽が落ちれば夜の帳があっという間に世界を覆うように、闇はすぐに広がっていくのです」 「……君はひとりで黒い竜に立ち向かっていくつもりなの?」 ルークに向けられていた緑色の瞳が、足先に移された。 「黒い竜を倒すために必要な、特別な力を持った猫達がこの世界のどこかにいます。彼らはきっと、今のこの世界の現状を知りません……この事を伝えなければそうです」 緑色の瞳が閉ざされる。 「私はこの世界で始めにすべきだった事を一つ、見失いました。ここで落ち合うことになっていた、同じ種族の者に会えなかったのです。おそらく、黒い竜の手下に消されてしまって……」 淡々と話すリスベルだが、本心はそんな冷静でいるわけがないとルークは感じていた。聞いているうちに、何か、どうにかしなきゃ! という気持ちが高ぶっていく。 「リスベル」 知らない間に、両の拳を握りしめていた。 「俺、小さな頃からずっといろんな旅猫の話を聞いて育ってきた。頼りなく見えるかも知れないけれど、頭には世界中の地図が入っている。その辺の旅猫よりも、何でも知っている方だと思うんだ」 ルークが言わんとすることを察したのか、 「ルークはこの森を通りすぎただけです。私とは何の関わりもありません」 「一緒だと、道には迷わないよ。リスベルもその方がいいだろう?」 顔を背け、緑色の目を泳がせる白猫の頬をルークは猫差し指で突いた。 「旅は道連れって言うでしょ? 当てもなく旅をしている旅猫だから、むしろ俺が感謝しなくちゃいけないよ。……それとも、一緒だと困るかな」 悪戯っぽい口調でそう言うと、白猫に微笑みかけた。リスベルは少し困惑した様子でいたが、自分を見つめる真摯な琥珀色の両眼に、徐々に顔を綻ばせていく。 「ありがとう」 潤んだ大きな緑色の瞳が、まっすぐにルークを見つめた。 森の上のほうで強く風が吹いた。葉が大きくこすれ合う音と枝がしなる音がしたかと思うと、頭上から折れた枝がいくつか落ちてきた。ルークは、驚いて耳を手で覆うリスベルをかばった。 「大丈夫、よくあることだから」 そう言ったルークの顔に、おそるおそる立ち上がった白い耳先が触れる。 「私としたことが、こんなことで驚いてしまうなんて」 「慣れてないならしょうがないよ」 こちらを見上げる緑色の瞳が泳いでいる。恥ずかしそうに伏せられたかと思うと、その視線が黒いローブの上を滑り、肩を強く抱き寄せるようにして触れているその手に留まる。とっさの事で気がつかなかったが、ルークはリスベルを自分の胸に抱きかかえるような体勢でいたのだ。そしてそのままふたりは見詰め合っている。 「ご、ごめん」 ルークは慌てながらもそっと手を離したが、手のひらに、黒いローブ越しに感じた線が細くやわらかな腕の感触が残っている。何だか顔が熱くなる。どうしていいものか分からなくなってしまったルークは、両手のひらを太もものあたりでこすって忘れようとした。その様子を見て、 「私、汚くないですよ。お風呂に三日間入っていないですけれど…」 リスベルが蚊の泣くような声で言う。見上げると、耳をたれ下げて今にも泣きそうな表情だ。ルークは手を振って「違うんだ、誤解しているよ」と言ったが、どう説明すればいいのか分からない。 落ち込んでしまったリスベルは古びた大岩の後ろに隠れてしまって、それから少しの間、いくら呼びかけても顔を合わせてくれなかった。 |
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