暗がりの中、ポッと暖かい灯りが見えた。
きっとあそこがジッポの家だ。
ジッポの家の向こうには、大きな森が見える。
闇の中の森は、まるで生き物のようにソワゾワと蠢いていた。
その森からくる柔い風が、リックの毛並みを撫でていく。
この時になって、リックは灯りを持って来なかった事を後悔した。
暗闇で足もとがよく見えないとかそういう問題ではなくて――ただ、暗い世界を明るい光無しに歩くのが、心細く感じたのだ。
今宵は空から地上を、月が煌々と照らしていた。
それがほんの少し、リックの心を落ち着かせた。
なるべく向こうに見える森の暗がりを見ないようにして、リックはジッポの家に近づいた。
リックは入り口の戸をノックしてみようかと思ったが、気が引けてしまった。
なので裏から回って、まず窓から中を覗いてみることにした。
そんなに大きな家ではなかったが、暗いせいか家のまわりを歩くのは一苦労だった。
食卓の見える窓が見えてきたので、リックは忍び歩きから小走りへと歩き方を変えた。
窓に後少しというところで、リックは何かに躓(つまず)いた。
「いてっ」
小さく悲鳴を上げ、リックは地面に倒れた。
「何してんだよ」
急に声がして、リックは息をのむ。
「だっ、誰だ……そこで何してるんだっ」
相手を警戒しながらそう言い、リックは身体を起こし、声のする方を目を凝らして見やった。
「自分ちの近くで俺が何してようが、俺の勝手だろう」
立ち上がる気配がし、相手は灯りの零れる窓の側へとやって来た。
「ジ、ジッポ」
ジッポの耳についていたピアスが、鈍い光を幾つか放った。
リックは口をパクパクさせながら言う。
「な、何してんだよ、こんなとこで」
「それは俺が聞きたいわ」
はぁったく、とジッポは言うと、「俺に用でもあるのか」と面倒くさそうに聞いてきた。
「気を失った俺を家まで運んでくれてありがと」
棒読みの台詞のようにリックは言った。
それを知ってから知らずか、
「どういたしまして。
わざわざそれを言いに来てくれたんだ」
にっこり白々しく微笑んだジッポは、リックの左耳に視線を流した。
「あれ、俺のプレゼント気に入らなかった?
取っちゃったのかよ? ……何だよもう」
面白くなさそうに、ジッポは首を振る。
「何だよもうは俺の言葉だっ。
俺の用件はそれだよ、文句を言いに来たんだ。
勝手に俺の耳に穴空けただろ、どうしてそんな事するんだよ」
リックは眉間にシワを寄せ、怒りの目つきでジッポを見た。
それにジッポは「そんなカッカする事ないだろ、何しても起きなかったお前が悪いんだ」と言うものだから、リックの怒りは更に激しさを増す。
「許さないから」
「そんな怖い顔するなって」
リックの両肩に、ジッポは手を置いて宥(なだ)めるように言った。
「……」
リックは怒りで膨れ上がった尻尾をゆらゆらとさせた。
握りしめた両手には、爪が食い込む。
「おい、ジッポ、何してるんだ」
急に2匹以外の誰かの声が聞こえた。
ジッポはその声に振り返る。
声の主は、家から出てきたジッポの父親だった。
「誰と話してるんだ、反省はしたのか」
ジッポの父親は手に赤々と火が燃えているランプを持ち、こちらの様子を伺っている。
毛色はジッポに似ていたが薄い縞模様の猫だった。
背が高く良い体格をした雄猫だ。
袖無しの服を着ているせいか、腕の筋肉が隆々としているのが見える。
「魔物に出会ったらすぐに逃げろと教えていただろう。
それなのに、お前は無謀にも戦おうとするなんて。
……お前には不思議な力が備わっているのかも知れない。
だがそれを扱えきれるほど、今のお前は成長していないんだ。
口答えする前に、今日の出来事をよく考えるんだ。
反省できるまで、夜風で頭を冷やしておけ」
そう言うと、ジッポの父親はリックの方へと視線を流した。
「確か君はゴードンさん家のリック君だったかな?
あまり夜は出歩かない方がいい。
この街の森にも魔物が姿を現すようになったからね」
ジッポの父親は「ではね」と言うと、窓の戸締まりをし、家の中へ戻っていった。
「魔物と、戦ったの?」
リックは目を伏せているジッポに問うた。
「俺のこと、馬鹿だって思っただろう。
そうだよ、俺は馬鹿だ。
何だって世界は俺の思うとおりになるって思ってたんだからな。
……でもそうじゃないって、今日俺は気づいたんだ」
ジッポはリックに背を向けると、家の入り口の方へ歩き出した。
リックはそんなジッポを見ていて、ふと気づいた。
ジッポは妙にゆっくりとした足取りで歩いている――左足を、引きずっている。
「ジッポ、左足、どうかしたのか」
「……怪我、したんだよ。
左足だけじゃない、右肩も、怪我しちまった」
暗がりでよく見えなかったが、ジッポの右肩には布が巻き付けてあった。
その布の下には、よく見ると白い包帯が見える。
「俺、もうダメかもな。
これじゃあ、弓は使えない。
弓だけじゃない、俺は父親の後だって継げやしないんだ」
ぼそぼそと、低く沈んだ声は、いつものジッポの声とはまるで違っていた。
リックは、まるで猫が変わってしまったかのようなジッポに、動揺する。
あんなに積もりに積もった怒りがあったのに、今のジッポに対しては、哀れで何とかしてやりたい気持ちでいっぱいなのだ。
「なぁ、リック」
気づくとジッポは足を止め、後ろを向いたまま、何か言いたそうにリックの返事を待っていた。
耳の辺りを掻きながら、リックは言う。
「何だよ」
「お前、俺よりも弓使うの上手くなりたくねぇか。
この間、俺と勝負した時に、そう思ってたんだけど。
俺がお前に、俺の知ってる限りの弓の技を伝授してやるよ」
「何でそんな事、急に言い出すんだよ!」
怒るような口調で、リックは言い放った。
今のジッポは、まるで、自分がもう終わりだとでも言わんばかりの様子である。
リックはそんなジッポに腹が立った。
「ジッポ、何のつもりかわからないけど、俺は嫌だぜ。
だいたい、何でお前に弓を教えて貰わなきゃなんないんだ。
魔物を倒すのにそんな大怪我してるようなヤツに教わるなんて、まっぴらだぜ」
後ろを向いたまま、ジッポは「それもそうだ」と笑った。
けれどその笑い声も、何だか気の抜けた炭酸水のような笑いだ。
「確かにそうだ、けど、俺の持ってる技術は最高なんだ。
実践は親父の方が優れているけど、俺は親父より技術がある。
それに、代々俺の家は弓の名家なんだ」
リックはどうしていいのかわからなくなって、しばらく黙り込んだ。
ジッポもこちらに背を向けたまま、静かに黙している。
先に沈黙を破ったのは、リックだった。
「俺に、俺に頼み事がしたいんだったら、ちゃんとそう言えよ。
ずっと背を向けたまま喋りやがって、信用ならねぇんだ。
どうせ俺を、からかおうとかそういう魂胆なんだろ?
……誰かに頼み事する時はなぁ、そいつの目をしっかり見て話すもんなんだぞ」
すると、ジッポは怪我をしていない右足を軸にして、ゆっくりと振り返った。
俯いていたヘーゼル色の瞳を、リックの目へと合わせる。
少しはにかんだ顔つきをして、
「なぁ、頼むぜリック」
ジッポはじっとこちらを見据えて言った。
照れくさそうにはにかんではいるが、目はまっすぐ真剣に、こちらを見据えていた。
リックはジッポが本気でそんな事を言っていることに、驚いた。
驚きのせいか、頭の中がグルグルと回っているようで、目眩(めまい)を起こしそうだ。
あんなジッポを見ているのは、何だか気持ちが悪い。
「ちゃんとお願いしてるんだ、答えてくれよリック」
「……あぁ、わかったよ」
そう言うと、リックはジッポに背を向け、家へと走り出していた。
後ろから、「明日、今日約束したところ同じとこで待ってるからな!」と言う、ジッポの声が響いた。
リックは振り返らずに、家までの道を、来た時と同じように一目散に駆けていった。
自分の家に着き、ベッドに入った後も、リックは明日約束の場所へ行くかどうかを考えていた。
「何なんだよ、あいつ」
寝返りを打つと、リックはぼそぼそと、ジッポに対して思いつく限りの悪口を呟いた。
そうしているうち、気がつくと、リックは眠りについていたのだった。
翌日、リックは昨日の迷いは消えていて、ジッポの待っている約束の場所へ行くことに決めていた。
どうやってその結論に至ったのかは自分でもわからなかったが、行くべきだと思ったのだ。
朝食に野イチゴのジャムをたっぷりのせたベーグルパンを3つ食べると、リックは弓と矢筒を持って家を出た。
−森の入り口−
「よぉリック、おはようさん」
先に着いていたジッポが、右手で松葉杖を持ち上げ、大声で叫んでいた。
リックは小走りにジッポの側へと向かった。
「何だかんだ言って、お前ってちゃんと来てくれるよな。
そういうところ、好きだぜ」
ニヤリと顔を近づけて言ってきたジッポに、「お前のそういうところダイッキライ」リックは歯を剥きだして睨みつけた。
「そんな怒るなよぉ、さあ行くぜ、お前のためにいい練習場所教えてやっからな」
ジッポはそう言うと、松葉杖をつきながら森の中へと歩き出した。
その後を、リックもふくれっ面をしながら続いた。
ジッポは足を怪我しているというのに、狭い小道や茂みの中をするすると歩いた。
道を知っているせいなのか、それともリックよりも森に慣れているせいなのか。
ジッポに置いて行かれないように、リックは時折耳や服を枝に引っかけたりしながらも、懸命にジッポの後を追いかけた。
−ジッポの練習場所−
「ここだ、いいとこだろう」
小さな若い木々のアーチを抜けると、そこには空から光が差し込む開けた場所があった。
見上げると、生い茂った枝えだがここだけ途切れており、ちょうど吹き抜けのようになっている。
「うーん、また木が成長したなぁ。
葉が増えて茂りすぎてる……もうすこし、練習には明るい方がいいな」
何やらそう呟くと、ジッポは松葉杖を側の木に立てかけて、右腕を胸の前に当てた。
突然、ジッポを中心にして、風が巻き起こった。
ジッポの右腕から、何か緑色の輝く物が飛び出る。
「竜だ」
思わずリックは口に出した。
緑色の竜が、空へ向かって舞い上がる。
風を纏いながら上へと突き進むその竜は、風と共に木の葉を吸い込む。
風の竜は、ゴゴーッと一際大きな風を2匹の真上で吹き荒らした。
次々と、枝えだについた葉が刈り取られるようにして宙を舞い始める。
天井を覆っていた葉がどんどんと減っていき、光があちこちから差し込み始めた――森が明るくなっていく。
「これくらいでいいか」
ジッポは、パンっと手を叩いた。
すると緑色の竜は風を止め、ジッポの右腕にあっという間に消えてしまった。
「これが、竜石使いの技だ」
目をまん丸くしていたリックに、ジッポはそう言って笑った。
ジッポはリックに、通常の弓の使い方を教えた。
父親に教わっていたリックがったが、どうやらジッポ曰く、矢の番(つが)え方がよくないらしい。
「それに、弓を引いている時の右手の位置もダメだな。
もう少し、こう、これくらいまで引かなきゃ」
「……腕が痛い」
リックは腕をぷるぷるさせながらも、「正面のあの木に当ててみろ」とジッポが言った的に向かって矢を放った。
矢は勢いよく飛び、見事、的に突き刺さった。
「わお、当たったよ!」
「うーん、なかなか好い線行ってるね」
ジッポはふんふんと首を振った。
ジッポの指導の元、リックは毎日弓の練習に励んだ。
時には練習中に喧嘩をし、取っ組み合いになったりした。
けれどジッポに容易く片づけられてしまい、練習再開を余儀なくされることがしばしばだった。
「弓の使い方が上手くなったら、喧嘩のコツも教えてやるよ」
そう言って、松葉杖の先っちょでリックの背中を突きながら、ジッポはよくきゃっきゃと笑った。
「いつか負かしてやるからな」
猿のような笑い声を聞く度に、リックは決意を改めるのだった。
そんな風な一時が、何日も過ぎていった。
リックはすっかり弓の扱いを覚えてしまって、ずいぶんと腕前を上達させた。
「どうだ、俺もお前に劣らなくなったろ」
リックはどうだと言わんばかりの顔をジッポに見せつけた。
「それはどうかな」
言ってジッポは、リックの矢が刺さったところに矢を突き刺す。
「まだまだ、俺とお前とは実力と経験の差があるんだぜ。
調子に乗ってもらっちゃあ、こ・ま・る・わ」
ジッポはそう言って、ジッポの恋猫エミリーがよくする、頬に両手を重ねる仕草をした。
「くっそぉ、絶対今度勝負した時、エミリーちゃんを取り返すからな!」
リックはそう言うと、放っていた荷物を拾い上げた。
「じゃあな」
リックがそう言うと、ジッポは「お前の勝利、気長に待ってるよ」と余裕の笑みを浮かべて手を振った。
いつものようにぷうっと膨れっ面をしながら、リックは家路へとついた。
森を出ると、強い西日がリックの頬を染めた。
リックが家のすぐ近くまで来た頃には、日はほとんど沈んでしまって、あたりは夜の気配が漂い始めていた。
振り返ると、空に黒い影がいくつも飛んでいるのが見えた。
「蝙蝠(こうもり)、最近多くなったな」
何気なくぼそりと呟くと、リックは夕食のにおいが立ちこめる家の中へと入っていった。
翌日、リックはいつものように朝起きると食卓に向かった。
「おはようリック」
母親がそう言って、黄色いスープをリックの前にコトンと置いた。
「おはよう」
「そうそうリック、今日ジッポ君のお家に行ってあげなさい。
何か、あったみたいなのよ」
そう言った母親の言葉に、リックはキョトンとした。
「何かって?」
「ジッポ君のお父様に何かあったって聞いたわ」
黄色いスープと、森葡萄を一房食べると、リックは弓矢道具を一式背負って、ジッポの家へと向かった。
ジッポの家の側までやって来たリックは、やって来てから少し躊躇(ためら)いの気持ちが湧いてきて、足を止めた。
ふと、もしかしたらジッポは、いつものように待ち合わせの場所で待っているかもしれない、と思ったのだ。
今までに、ジッポに、心配や不安を感じたり、気に掛けたりする事が全くないわけでなかったが、あからさまにジッポにも分かる形で示した事は一度もない。
「心配になって来たんだ」と言えばいいのだが、何故かこの時になって、急にジッポに対する嫌悪感を感じ始め、ジッポを気に掛けている自分が腹立たしくなったのだ。
リックがジッポの家の側で、そんな事を考えながら足止めしているうちに、家の戸の開く音がした。
「あれ、リックじゃん」
出てきたのはジッポだった。
リックに近づきながら、ジッポは言葉を続ける。
「何してんだそんなとこで。
でもまぁ、ちょうど良かった。
俺、いつもより家出るの遅くなっちゃったから……お前を待たせる手間が省けたぜ」
最後の“手間が省けた”というのに首を傾げながらも、リックは適当ないいわけを口にした。
「今日はここから約束の場所に行こうと思ったんだ。
……それより、何で家出るの遅かったんだ」
「その事なんだけど、今日……弓の練習休みにしても駄目かなっ?
まま、折角だから家にあがれよ」
返事する暇(いとま)も与えず、ジッポはリックの後ろに回り込み、背を押して家へと招き入れた、というよりも家の中へと押し込んだ。
−ジッポの家−
家の中に入ると、リックはいきなりテーブルとご対面した。
「そこ、気を付けてくれな」
ジッポにそう言われた時には、もう遅かった。
リックはもろ鳩尾(みぞおち)にテーブルの角を食い込ませていた。
痛みのあまり腹を押さえながらも、振り向いたジッポにはわからないように取り繕った。
「街の猫に使わなくなったテーブル貰ったんだけど、どうもこの部屋には大きすぎてさ。
椅子も4脚ついてきたんだけど、俺の家2匹家族だろ?
だからこの椅子をテーブルにする事が多いんだ」
「……うちの親父に頼んで、テーブル、直してやってもいいぜ」
思わずリックがそう口に出すと、
「ありがたい、頼むよ本当。
でもその頃には、俺たち違う街に行ってるかも知れないけど」
とジッポは言った。
その言葉に、リックは目を丸くした。
「おい忘れたのかよ。
俺はここで暮らすために来たんじゃないんだぜ。
この街の近くに魔物が現れたから、雇われて来たんだ」
「そうだった……」
そう小さく言ったリックに、「寂しいか?」とジッポはニヤリと笑って聞いた。
「ぜんっぜん、いなくなった方が清々する」
リックはプイッとそっぽを向いた。
「素直じゃねぇなぁったく」
ジッポは右手でリックの頭を押さえつけるように撫で回した。
リックはその手を「やめろよもぅ!」と言って、怒りながら引きはがした。
楽しそうに笑い出すジッポに、リックはまた、腸が煮えくりかえりそうだった。
機嫌を損ねたリックは、壁を背に、部屋の隅に座り込んだ。
「椅子に座れよ」とジッポに言われたが、その場を動かず「お前の父親は?」と先ほどから気にかかっていた事を問うた。
「今奥の部屋で寝てるよ。
昨日の夜、親父、家に帰ってこなかったんだ……でも今日の早朝に帰ってきた。
ろくに寝てないみたいでさ、昨日俺が作った兎の肉入りシチュー平らげて、ぐーすか寝ちまったよ」
「お前も寝てないじゃん、柄になく親思いなんだな」
とリックはジッポの充血した目を見て言った。
ジッポは鼻の頭を掻きながらリックから目を逸らして、「そういや、親父が妙な事を言ってたんだ」と話も逸らした。
ジッポが言うに――魔物を追っていたジッポの父親は、この街から随分離れたところまで行ってしまった。
そうして、魔物を仕留め、家へ帰ろうとする途中、日が暮れてしまった。
街へは明日戻ることにしたジッポの父親は、森で野宿することにしたそうだ。
魔物退治はほとんど片づいていたはずだったのだが、その夜、ジッポの父親は、魔物たちが発するような気味の悪い気配を感じた。
振り返ると闇夜に赤い光を見、それが次第に数を増やし――朝まで静かに茂みに隠れていたのだが、あれはどう見ても、魔物とは違う種類の、何か危険なものだとジッポの父親は思ったという。
「それで?」
リックはその先を促した。
「それだけ」
ジッポはそう言って、「それ以上聞いたんだけど、寝ちまったんだよ親父」と苦笑した。
「親父が、森には行くなって言ってた」
急に真剣な顔になったジッポは続ける。
「何か起こるかも知れない」
「何かって?」
リックが問うと、
「良くない何かだよ……俺の推測だけど」
ジッポは耳の後ろを掻きながら、「とりあえず、リック、今日は俺ん家泊まれよ」と言った。
「はぁ? 何で」
「決まってるじゃん、俺寂しいのぉ」
そう言って、明らかにリックをからかう風の顔をして――リックの引きつった顔を見て、ジッポはキャッキャと笑った。
笑い終えた後に、「親父がああだから、外にも行けなくて暇なんだよ」と付け加えた。
リックは一度家に戻って、母親に今日はジッポの家に泊まると告げた。
「これを持っていきなさい」
そう言って、母親が持たせてくれたカボチャとホクホク芋のコロッケ、着替えの服を携えて、再びジッポの家へと向かった。
「おう、ちゃんと準備してきたかっ」
リックが戻ると、ジッポが飲み物とチョコチップクッキーを載せたお皿をテーブルに並べているところだった。
「今日は練習できない分、矢の加工の仕方を教えてやるよ」
一枚クッキーを口にくわえて、ジッポは自分の矢を手に取った。
「矢を放つ時、風の抵抗というのを考えなきゃ行けない話は、前にしたよな?」
「うん」
リックは頷いた。
「例えば、右から風が吹くと、矢は左に流される。
序でに言うと、その時の矢は、風の抵抗を受けて右傾きに飛んでいく。
だから相手に刺さる威力は、通常の時よりも落ちることになるな。
矢の作りにもよるけど、一般的に風の抵抗を受けた時、矢はそうなるんだ。
……でも、ちょっと頭をひねれば、風を利用してもっと威力のある矢を放つ事もできるんだぜ」
ジッポはそう言って、クッキーを頬張った。
「森でやった時は、あんまりそういうの教えてくれなかったね」
リックがそう言うと、
「あの森は生い茂ってる木で風を遮断してたから、その事を考えなくて良かったんだ。
だから、初心者の練習場所に良かったわけ。
でもこれからお前は矢を本格的に使っていくんだから、風と矢については教えてやっておくべきだと思うんだ」
ジッポはそう言って、手に持っていた残りのクッキーをぺろりと口におさめた。
ジッポはその日一日、矢についてリックに様々な事を教えた。
とっておきの、一回きりの技だが、矢についている羽を毟って矢の進行方向を変える技も教えてくれた。
一度家の外に出て、ジッポの必殺技を見せてもらった時には、リックはすぐ自分もやってみたくてたまらなくなった。
「矢を一度に二つ番(つが)えて放つには、それなりに筋力がいるしコツもいるんだ。
今のお前には無理無理」
そう言って、ジッポは、何度も飛ばずに落ちた足もとの矢を拾うリックを笑った。
「絶対できるようになってやる」
「せいぜい、頑張って練習することだ」
そう言って、ジッポは家の中に入っていった。
リックは、日が暮れるまで、ジッポお手製の的相手に、何度も二つ一遍に矢を放つ技を練習したが――結局、できず終(じま)いだった。
晩ご飯は、リックの持ってきたカボチャとホクホク芋のコロッケを食べた。
それと、ジッポが作った酸味の利いたトマトスープも飲んだ。
時折喧嘩をしながらも、明るいランプを間に挟んで、2匹は楽しく夕食を食べていた。
そんな食事中、突然ただならぬ声が外の方から聞こえてきた。
「キャーッ!」
あまりに突然の事で、2匹はそれが雌猫の悲鳴だと気づくのに時間がかかった。
続けざまに、奥の部屋からドタドタという足音がする。
振り返ると、そこにジッポの父親が立っていた。
「2匹とも小屋に来い。弓と矢筒を持ってな」
血相を変えた様子で、けれど落ち着いた声音でジッポの父親は言った。
ジッポが矢筒を背負いながら、
「親父、今の悲鳴は」
と問うと、
「魔物よりおっかないもんが現れたんだ」
ジッポの父親はそうとだけ答え、「早くついて来い」と言った。
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