眩しい日の光で、リックは目を覚ました気がする。
ずいぶんと眠ってしまっていて、目を開くと辺りはすっかり日の光に満ちていた。
リックは辺りを見回した。
足もとに茂る草ぐさが、風を受けて揺れていた――リックの毛並みも風に撫でつけられていく。
「ジッポ」
ぽつりと口から出た言葉に、いつの間にか消えていた存在に気がついた。
「ジッポ!」
先ほどより声を大きくして言い、リックは立ち上がった。
風の音が、まるで返事をするように、ざわわぁと吹き過ぎていった。
「どこだよ、ジッポ!」
リックは駆けだしていた。
ジッポの名前を呼びながら、足もとの草に躓きながらも走った。
生い茂った草と、それを揺らす風。
辺りにあるのは、それだけ。
リックへ言葉を返してくれる存在は、どこにもなかった。
照りつける日差しの中、リックはもうほとんど声を潰してジッポを呼んだ。
転んで膝から血を流しているのも、遠くにうっすらと街が見えていることさえも気づかずに――リックはジッポを探した。
「何だよ、何なんだよ」
もう声にもならない嘆きを零しながら、リックはその場に倒れ込んだ。
動く気になれなかった。
疲れが溜まった身体は、また立ち上がろうとするリックの気持ちを抑えつけた。
「もう、お前を探せねぇよ」
次第に身体中の力が抜けて、リックの意識は遠退いていった。
『ごめんだけど、約束、守れないわ』
重たく感じる瞼を閉じていく最中(さなか)、朧気(おぼろげ)な視界に、はにかんだ顔のジッポが見えた。
リックは、「嘘つき」と何度も呟きながら――瞼を閉ざしていった。
***
「リック、リック」
優しい声が聞こえる。
身体を揺すぶられ、それは次第にリックを現実の世界へと引き戻していった。
目を見開くと、そこにミリルの顔があった。
「起こしちゃった」
ミリルは困った表情をして見せて、「放って置いたら、リック死んじゃいそうな気がしたの」とこちらを心配そうに見つめた。
「……ありがとう」
リックはそう言って、身体を起こした。
「悪い夢を見てたのね」
そう言ったミリルに、「夢じゃない、昔のことを思い出してただけ」とリックは左耳のピアスを触った。
「ジッポは死んだってのに。
あいつは俺の夢の中では、今もあの時のまま、嫌なやつなんだ」
――俺が運び込まれてから、2日後に、ジッポはそう街から離れていない場所で見つかった。
けれどそれは、俺の知っているジッポとは、全く違う姿をしたジッポだった。
「あいつ、嘘つきなんだ」
リックがそう呟くと、「嘘つきって、寝言で何度も言ってたわ」とミリルは言った。
「俺の努力を無駄にしやがった。
折角、一緒に助かろうって、俺頑張ったのによ。
……なんだよ、格好つけなんだあいつ。
俺、あいつのそういうところ、ダイッキライだった。
俺だけ置いていきやがって、俺、独りきりじゃないか」
ミリルに笑いかけながら、リックは目から大粒の滴をいくつも流していた。
「リック……あなたは独りじゃないわ」
リックの背中を撫でつけながら、ミリルは優しく微笑んだ。
そうして、リックの額にキスをして、目元の涙を拭ってくれた。
「ゴッホン」
妙な咳払いが聞こえて、リックとミリルは部屋の戸口の方を振り返った。
「お取り込み中何なんだが、お客さんだ、リック」
ミリルの親父が戸口に持たれていた。
続けざまに「ミリル、店の方が忙しくなったんで来てくれないか」と言った。
「元気を出してね」
そう言って、ミリルは部屋を出ていった。
「……いいところだったのに、よ」
小さく吐き捨てたリックの言葉に、
「俺の娘を誑(たぶら)かした代償はわかってんだろうな。
あいつを嫁がせてやらんと言ったら、俺がただじゃおかないぞ」
ミリルの親父は鼻息荒くそう言った。
「分かってるって」
そう答えたリックを、さも疑わしげに見やりながら、
「お客の前に、そんな泣きっ面早くどうにかしろ」
とミリルの親父は指で示唆した。
「目から鼻水が出ただけだぃ」
リックはブランケットで目元を擦りながら、「客通していいぜ」と言った。
開けっ放しの戸口の内側を、その猫はコンコンとノックして入ってきた。
「入るよ」
現れたその猫に、リックは思わず、
「ジッポ」
と小さく呟いていた。
けれどその相手は、ジッポによく似た、酒場で出会った雄猫だった。
毛並みの色や、ピアスだらけの耳や装飾品の類(たぐい)は、ジッポに酷似していたが、こうしてよくよく見てみると、ちっともジッポに似ていない気がした。
目の色も、ジッポのヘーゼル色ではなく、この雄猫は黄色だ。
「悪かった。
私が奢った酒で、君をひどい目に遭わせてしまったようで」
そう言いながら、その雄猫はリックのいるベッドに近づいてきた。
「いいや、俺が悪いんだ、あんたは悪くないよ。
……あんたが昔の友達に、とっても似ていたから、つい、ムキになって」
言って、リックは酒をぐいっと飲む仕草をした。
それに少し笑いながら、雄猫は被っていた帽子をベッド脇のテーブルに置き、「椅子に座らせてもらうよ」そう言って、丸い椅子に腰掛けた。
「君が倒れた後、可愛い女の子が追いかけてきてね。
『リックが倒れちゃったのよ、あなたのせいだわ!』と道の真ん中で怒られてしまって――」
雄猫の口調は、とっても柔らかで、ジッポのきつい冗談交じりの話し方とはちっとも違っていた。
話に耳を傾けながら、リックはふと、部屋の戸口に目をやった。
そこには小さな猫の姿があった。
「あ、あれはね、私の息子だよ」
リックの視線が自分の後ろに注がれているのに気づき、雄猫は話を止めた。
そして「息子を忘れて酒場に入ってしまってね、いやぁ私もうっかり者だ」と、恥じ入った様子で雄猫は耳を撫でつけた。
「父ちゃん、行こうよ。
もうそいつ元気だよ。
早くしないと、久々の父ちゃんとのお出かけ時間無くなっちゃう」
そう言った小さな猫は、雄猫よりも毛色が濃く、縞の模様が違っていた。
その上、その目は薄茶色をしている。
きっと母親似なのだろう。
「……今日、久しぶりに休暇が取れたんでね、息子と出かける約束をしてたんですよ。
こうみえて、仕事が"ポリスキャット"だから、休みが取れなくてね」
雄猫の外見は、猫達の平穏な生活を守る姿とはほど遠かったが、息子を見つめる優しい眼差しが、何かを物語っているように思えた。
「俺はもう大丈夫だぜ」
リックがそう言うと、小さな猫が部屋に入ってきた。
そうして父親の腕を引っ張って、
「ほら、早く行くよ父ちゃん」
椅子から立ち上がらせると、小さな猫は父親の腕を引っ張ったまま、戸口の方へ勢いよく駆けだした。
「大変ご迷惑をおかけしました」
そう言って、雄猫は苦笑を浮かべて部屋を出ていった。
「……」
静かになった部屋をぼんやりとリックは見渡した。
視線をベッド脇のテーブルへやった時、そこにあの雄猫が持っている帽子が置かれたままであるのに気がついた。
「あ、忘れ物だ!?」
慌ててリックはベッドから飛び起きた。
帽子を引っ掴むと、ドタドタと部屋を飛び出した。
酒場の裏戸口から出たリックは、前方に、こちらを振り返る雄猫の姿を見た。
リックが手に帽子を持っている事に気づき、自分の頭を触りながら「あっ」と雄猫は声を上げた。
「僕が行く」
小さな猫が、リックのところへと駆けてきた。
「……ほら、父ちゃんの忘れ物だぞ」
言って、リックはその子に帽子を手渡した。
その子はそれをサッと受け取ると、何も言わず3歩ほど先まで歩いた――そこでこちらに、振り返る。
小さな猫は、口端を引き上げた笑顔でこう言ってきた。
「ありがとよ、リック」
リックはキョトンとしてしまった。
その顔が、その声が、笑顔がジッポに見えたのだ。
でも次の瞬間には「ありがとう、兄ちゃん」そう言う、ちっともジッポに似ていない小さな子猫がそこにいた。
「ジッポ」
リックはぽつりと呟いていた。
手を振りながら、小さくなっていく親子を見つめながら。
――なぁジッポ。
お前は死んじまったのかもしれないけどよ、俺の中に、お前は今でもいるんだよな。
左耳のピアス、右腕の竜石の傷、俺の思い出に記憶――
本当は、俺がお前に言うべきだったのかもしれないな。
感謝の言葉、最後にお前と約束した言葉を。
でも、俺は悔しいから。
いつか、どこかでまた会う時まで。
『ありがとう』って、言わないぜ。
おしまい
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